昨日、デジタルディバイドがより鮮明に、みたいなニュース記事をみかけました。
"デジタル・ディバイド"が深刻化、年収200万円未満のネット利用率わずか5割 | マイコミジャーナル上記記事の内容にとくに言及するつもりもなくて、っていうかよく読んでないし、単に情報格差って話のきっかけです。
さて、この情報格差の強者側の人達は、様々な情報をネットから入手し、様々なガジェットを用い、情報弱者が体験する機会のない様々な体験をしている人たちです。そういう人たちのはずです。
で、情報格差の強者側とされている人たちが、情報機器って作っているわけですよね。
情報機器を作る側の人たちという視点でみたとき、最近、デジタル・ディバイドという見方で情報強者側にいる人たちが、情報機器の嗜好や使い方/使われ方で、分断されてきているんじゃないかと感じています。流行(でもないな…)のユーザーエクスペリエンスなんて言葉が当てはめやすいので、この僕が感じてる分断を(ユーザー)エクスペリエンス・ディバイドと勝手に名付けることにします。
メイド・バイ・ディバイデッダー。
たとえば、Windowsしか使ったことない人と、Macしか使ったことない人って、エクスペリエンスに隔たりがあると思うのです。ってあまりこういうWindowsだのMacだのの分け方は好きではないのですが、それはユーザーとしてカテゴライズするのが好きではないってことで、情報機器を作っている情報強者達にフォーカスをあててみると、分けてよいと思います。
エクペリエンス・ディバイドのどちら側に分断されているかで、情報機器を作っていく際の、発想の枠組みや、目指す体験の質などがまったく異なるものになってきている、のではないか、と。あ、「ディバイド」って言っても格差じゃなくて「分ける」の意ですから。
一応断っておきますが、僕はプライベートではMacしか使ったことありません。Windowsは仕事のみです。はい。で、個人個人でみれば、使うのがWindowsだろうがMacだろうが同等の上質な経験を積み重ねられる人だっていると思ってます。
ってこの辺まで書いてて昨晩寝てしまったので、ここから再開…もできないな。
個人のエクスペリエンス(に根ざす発想力など)を最大限に活かせる開発体制をデザインできるかどうか。逆に平均化してしまうような体制になっていないか。
もう21世紀入って9年目ですよ、ほんと頼みます、日本のそっち系企業。がんばれ。