2009年4月27日月曜日

小さなクリエイティブ世界

CGMの見方。

作り手と受け手がいる。

それは確かにそうなんだけど、でも、こういう見方で僕は考えたい。

たとえば。
食材の作り手から食材の受け手へではなく、
食材の作り手から料理の作り手へ

料理の作り手から料理の受け手(食べる人)へではなく、
料理の作り手から自分(達)の食事の時間の作り手へ

作り手と作り手がカテゴリを越えて連鎖していく。
インタラクティブな場合もあるし、そうでない場合もあるし、循環していったりもするし、そういう見方でクリエイティブなコミュニケーションの在り方って、考えようがあると思う。


無理に「作り手」と見なさなくてもいい場合や、できないときもあるかもしれないけど、受け手というのは作り手の一面であると捉えた方が、楽しい世界に見えると思う。


子どもなんてみんな遊びの作り手じゃないか?いろんな要素のマッシュアップも得意だ。


リチャード・フロリダの言うような世界もクリエイティブな世界だけど、身近なところにも、未来の担い手の作る「クリエイティブワールド」はあるんじゃないか。


いつの間にかgoogle bloggerが(携帯)メールからの投稿対応したので、テストも兼ねて。

2009年4月14日火曜日

若者は未来の中年です

若者をターゲットに、って言葉が最近どうもピンと来ないのです。

「若者じゃなくなったからじゃねーの?」
『わしの17歳は108年目まであるぞ』

「ターゲット」って狙い撃つわけですよねってどこぞのガンダムマイスターですかあなたは。
若者に愛されるなんて表現もなんか気に入らない。愛って。ラブされちゃってるんだよってどこの紫SHIKIBUですかあなたは。


はい。

あ、言い忘れました。ピンと来ないっていうのは、僕がちょくちょく取り上げる国内AV/ITメーカー系がたまに言う「若者をターゲットに」ということについて、です。


いきなり僕なりの回答を書くと「若者が投資する対象であり続ける」ってのが、固めの言い方かもしれないけど、しっくりきますね。彼らは彼ら自身が上質の経験をするために、そしてその経験をベースに将来活躍する自分のために、自己の資産を「未来の自己を形成する経験」へ投資してる、ようであって欲しいというのは非若者のエゴではありますが、まあでもそうあって欲しい。


視点を社会性ある高さまであげて、時間感覚も社会の動きを観測できるところまで拡げてみれば、若者ターゲットの商品を考えるということは、未来の中年を考えること。社会の中核で働くいい時期の社会人にどうあって欲しいかを考えること。中年社会人たちの活躍の様子を思い描き、それにより世の中がどうなっていくか、どうなっていって欲しいか、むしろどうしたいか、を考えること。
そして、100%その通りになるわけもないという「許容」「(イノベーションのための)余白」も考えること…みたいなことじゃないかなー。


そのうえで、今、今まさに「若者」なナウなヤングがハイなクオリティのエクスペリエンスをゲットするためのプロダクトをシンクするってことを「若者をターゲットにした商品を」ってフレーズに込めてんならいいんだけれども。はて。

2009年4月10日金曜日

エクスペリエンス・ディバイド

昨日、デジタルディバイドがより鮮明に、みたいなニュース記事をみかけました。

"デジタル・ディバイド"が深刻化、年収200万円未満のネット利用率わずか5割 | マイコミジャーナル

上記記事の内容にとくに言及するつもりもなくて、っていうかよく読んでないし、単に情報格差って話のきっかけです。


さて、この情報格差の強者側の人達は、様々な情報をネットから入手し、様々なガジェットを用い、情報弱者が体験する機会のない様々な体験をしている人たちです。そういう人たちのはずです。


で、情報格差の強者側とされている人たちが、情報機器って作っているわけですよね。


情報機器を作る側の人たちという視点でみたとき、最近、デジタル・ディバイドという見方で情報強者側にいる人たちが、情報機器の嗜好や使い方/使われ方で、分断されてきているんじゃないかと感じています。流行(でもないな…)のユーザーエクスペリエンスなんて言葉が当てはめやすいので、この僕が感じてる分断を(ユーザー)エクスペリエンス・ディバイドと勝手に名付けることにします。

メイド・バイ・ディバイデッダー。

たとえば、Windowsしか使ったことない人と、Macしか使ったことない人って、エクスペリエンスに隔たりがあると思うのです。ってあまりこういうWindowsだのMacだのの分け方は好きではないのですが、それはユーザーとしてカテゴライズするのが好きではないってことで、情報機器を作っている情報強者達にフォーカスをあててみると、分けてよいと思います。


エクペリエンス・ディバイドのどちら側に分断されているかで、情報機器を作っていく際の、発想の枠組みや、目指す体験の質などがまったく異なるものになってきている、のではないか、と。あ、「ディバイド」って言っても格差じゃなくて「分ける」の意ですから。


一応断っておきますが、僕はプライベートではMacしか使ったことありません。Windowsは仕事のみです。はい。で、個人個人でみれば、使うのがWindowsだろうがMacだろうが同等の上質な経験を積み重ねられる人だっていると思ってます。


ってこの辺まで書いてて昨晩寝てしまったので、ここから再開…もできないな。


個人のエクスペリエンス(に根ざす発想力など)を最大限に活かせる開発体制をデザインできるかどうか。逆に平均化してしまうような体制になっていないか。

もう21世紀入って9年目ですよ、ほんと頼みます、日本のそっち系企業。がんばれ。