論理的に考えることは得意だと自分では思っていたので、まあどういうもんか経験してさしあげてもよくってよ、という気持ちで臨みまして。まあ、そんな程度でした。思考の枠は外に内に広く狭くいろいろあるんです、ってことを感じてもらう研修だったのかな。
:: 論理思考力の人それぞれ ::
研修は5〜6人グループワークで演習とかやりながらという形式だったので、ありきたりな言葉ですが「人それぞれ」だなぁというのを実感しました。何が理想で、何が現実的で、それらをどういうスコープで、どのレイヤーで捉えているか、が、ほんと人それぞれ。
- 思考の枠の外し方、思考の枠の狭め方
- どこまで拡げられるか、どこまで寄れるか
- どのズーム位置で問題を見いだせるか
- どのズーム位置で問題解決にあたろうとするか
これらは向き不向きがあると思います。また、ある程度までは鍛錬可能な能力でもあると思います。次元を超えたところはセンス。どでかいスコープでの問題発見センスある人とか、たぶん少ない。
:: 万能じゃなくていいが自覚はしたい ::
思考の枠をどんどん外していくのが得意な人は、そもそも論とか好きなはず。で、そういう人が見失いがちになるのは、思考の枠を狭めていったところで「適切な大きさの問題」として問題解決エコシステムにあずけるということ。適度に狭めていくことの必要性。逆に必要性さえわかっていれば、別に狭める能力はそれほどなくともよいと思います。僕は自分はこっち系だと思ってます。そもそも論で話蒸し返すKYタイプ。
逆に、目の前の問題解決が得意なタイプの人は、そもそも何のための問題解決なんだっけってなりがちなので、そもそも論好きの目指す理想像に、たまに目を向けるとよいかと。誰もがなぜなぜそもそも言う必要はないと思います。自分が取り組んでいることは、もっと大きな意志のもとで発見された問題が分解された結果の「適切な大きさの問題」であるということを理解すればよいわけで。
要するに、自分の得意な思考の枠がどういうタイプか、自分の枠の内と外にはどういう枠があるか、自覚できるようになってればよい、と。
:: エコシステムの設計者の不足 ::
思考の枠の向き不向きの「人それぞれ」を受け入れることなしに、物事を進めようとするとチグハグになります。歯車ってのは大小様々なものを組み合わせて、小さな力で大きな効果が得られるように設計されるもんです。歯車システム=問題解決エコシステム。
最近ちょっとやばいんじゃないかなと思うのは、あくまで僕の勤める会社での感覚ですが、思考の枠の自覚がない人の多さと、それ以上に、上記の例えでいう、歯車システムの設計ができる人がいないこと、いても希少であるがゆえに、あらゆる歯車を設計してくれることを期待されて負担がでかくなること。水車で粉を挽くシステムを設計できる人と、懐中時計を設計できる人は別です。それぞれが「解決すべき問題」も違います。解決すべき問題を見いだした人は、歯車設計者とは別人かもしれません。
適切な大きさの問題に分解する人、おおもとの問題を見いだす人、が不足してます。AB型の血液以上に。
参考:ほぼ日刊イトイ新聞 - 適切な大きさの問題さえ生まれれば。