2009年9月11日金曜日

拡張師

なんかふと思い浮かんだ妄想です。

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ARが浸透した世界。publicなもの、ビジネスなもの以外に、そこにはARアートやARエンターテインメントの「AR芸」も生まれる。

現実レイヤー、publicレイヤー、ビジネスレイヤー、以外のレイヤーにそれはマッピングされる。基本的に表示しないでいいもの。どのAR芸コンテンツを表示するかは自由。お気に入りのAR芸をブクマ(?)するようになる。トイレ入ったときはTOTO公式ARテーマ使うなぁ、大のときはやっぱ2chのトイレ用テーマスレにあったやつがなんか気持ち的に出やすい、とかそういう世界。

そうすると、拡張現実アーティスト「拡張師」という肩書きが生まれる。「あの拡張師さんの空が好き」「やっぱプロがいいでしょ、浅沢曲人とか夕焼け超いいよ」とか。

ひとりひとり見ている世界が異なる、のが当たり前で、それは哲学的・心理的な意味ではなく、もっとはっきりと「僕の見ている景色とあなたの見ている景色は同じ場所で同じところ見ているけど見た目にも違う」になる。逆に今の世界の(ARなしの)同じ景色を見て同じことを感じていると信じるかどうかはもう愛の世界っぽいが、それが「同じAR芸をブクマしてた」らもっと距離感が縮まりやすくなるかもしれない。けど、たぶん信心の尊さ・深さ的なものが違う軸へと移るだけの話な気もする。どうせ、AR芸コンテンツを見て感じること、というまた目に見えない部分が生まれるからだ。

でも、何かそういう価値観の「軸」がシフトするようなことって、大きな意味があるんじゃないか。いやないかもしんない。

ARなしの同じ景色を見ても人それぞれ感じるものは違う。その人が感じたものを表現したものがコンテンツ。拡張師さんの作品になる。それは今でも音楽や絵や様々なものと同じ概念に思う。とすると、拡張師ってそこそこ「アリ」なんじゃね?と。
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名前はともかく。

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